2020年5月21日木曜日

coincidence 5

誰かの記憶に残っていたcoincidences.

ひとつ。
2007年、フランスのLyon第二大学にて
京都からの短期留学生のクラスメイトが(10くらい年下だけど)

「クラスみんなで撮った写真を姉ちゃんにみせたら
 Machironさんの事、見たことあるって言ってました。
 京都の●●って店に行ってましたか?」

「・・・行ってました。」

何年も経ってるのによくわかりましたね。。。
どこで誰に見られていても問題ないふるまいをする
というのは本当に大事なことだな、と気を引き締めました。
(全然問題ありませんでしたよ)



ふたつ。
カフェをしていた時、お客様から
「2003年に関空からフランスに行きませんでしたか?」
「えっ。行きました。」
「MKのリムジンタクシーバスで関空までいきましたよね。」
「えっ。行きました。」
「バスの一番後部座席に乗ってましたよね。」
「えっ。乗ってました。」
「大津の●●が丘から乗ってくる人が寝坊して、
 だいぶ待たされたの覚えてますか?」
「・・・覚えてます。」
「寝坊して待たせたの、私です。」
「!」

10年くらいたって私だとわかったのもすごいし
京都・滋賀から関空までのバスで出会って
再会したのが愛知県というのもびっくりしました。

2020年5月18日月曜日

coincidence 4

以前にも書きましたが
人生の中で
あまりにもすごい偶然が起こりすぎるので
coincidenceシリーズとして書き記しています。

今日は比較的小さめの偶然。

coincidence 2で再会したアンジェリーナ先生。
ブログに書いたことで、
また探してみようと思い立ち
SNS上で名前を入れてみたりして
色々探していたのですが
なかなか見つからずにいました。

しばらくして、
とある英語サイトの英会話の先生リストに
アンジェリーナのプロフィールを発見!
でもメールアドレスは載っていなくて
英会話の先生を探している人が
HP上で問い合わせすることができる
メッセージボックスにメッセージを残しました。

すると、2・3日のうちにすぐ返事があって
その内容にとても驚きました!

「メッセージありがとう!
 実はこのサイト、もう全然使っていなくて
 さっきなぜか数ヶ月ぶりに開いてみたら
 あなたからメッセージが来ていてビックリ!
 なんとなくだったけど、
 見てみてよかったーーー!!
 探してくれて、そして見つけてくれて
 本当に嬉しい!!!」

オンラインというデジタルな世界でも
第六感的な引き寄せってあるのでしょうか。

この時以来、
アンジェリーナとはSNSやメッセージで
ゆるっと近況を伝え合っていて
いつか、
30年ぶりとなるこの場所に遊びに行きたいなーと
言ってくれています。
いつか実現しますように。

2020年5月16日土曜日

Mademoiselle "NON".

前回の投稿からまたしても1年以上の時が。。。
1年前の文章が残っているのは
なかなか面白いものだと感じました。

イヤイヤが言えるようになった娘のそれから。

相変わらず「イヤ!」と言い続けていて
寝言でもイヤって言っています。
よっぽどイヤなんですよね。

イヤ、と言われたらひたすら交渉あるのみ。

出した着替えがイヤだといわれたら、
全部自分で選んでもらいます。


幼馴染と畑仕事。
帽子も下着もパンツも靴下も
なぜか全部水玉を選びました。
とにかく何でも自分の意志で決められる人に育っています。

理由がわからないときは
なぜイヤなのかを聞くようにすると
泣いて怒っていたとしても
気持ちが落ち着いてから話してくれます。
本当にイヤなわけではなく
さみしい、とか自分でやりたかったとか
他になにか理由があることもとても多いです。
まずは”イヤ”という本人の気持ちを否定したらよくないなーと感じています。
(イヤイヤいわないの!とか。)

で、結果
”イヤイヤ期”というものはやはり存在しないというのが実感です。
周りの大人が思い通りにならない時に
名前を付けて納得して終わらせたいんだな、と。

前置きが大変長くなりましたが

待っていたら落ち着く、話し合うことができる
というのは
イヤ!といった時だけではなく
例えばお友達と喧嘩した時や
おもちゃを貸す貸さないで揉めた時も同じことのようです。
貸してあげなさい!とか喧嘩しないの!
と子供の憤懣やるかたない気持ちを無視して
仲裁に入って
うまくおさまったところを見たことがありません。
もし、親が仲裁に入って止めておさまったように見えても
本心では納得していません。
私悪くないのに、とどっちかが思っていたり。

止めたくなるところを我慢して見守っていると、
(はじめはなかなか難しい)
子供同士でちゃんと折り合いをつけて
ごめんね、いいよ、って言い合えたり
そもそも怒っていたことをお互いでなしにしたり
気持ちを落ち着けてから時間をおいて「貸してあげる。どうぞ。」
ってできたり
お互いがちゃんと納得して、どちらかが悶々と不満を抱えることなく
平和な時間を取り戻しています。
2歳や3歳でちゃんとそれができます。
そうして色んな可能性や能力を自然に見せてくれるので
子供って素敵だなーと毎日目が離せません。
別の意味でも絶対に目が離せません。

水玉を身にまとった娘と幼馴染のお友達は
追っかけ合ったり時にはつかみ合いのけんかになることもあるけれど
でもいつもちゃんと仲良しに戻っています。
喧嘩中に親のわたしたちが「もうやめなさい!」と引き離したら
お互い腹を立てたまま引き離すことになって
きらい!って思ったままだったり
本当は好きなのに喧嘩したまま別れて悲しい
という風になってしまうかもしれません。
自分で決めて、自分たちで解決していくのを
一緒に見守れるのが素敵な”ママ友”だなと感じています。

こんなことを考えていた時に
ある人が「それって大人も同じことですね。」
と意見を言ってくれて
たしかにしょっちゅう喧嘩してもすぐ仲直りする人たち
たくさんいるなー、と気づきました。

”けんかをして制服姿で殴り合いながら土手を転がって
最後に友情を深める”みたいなこと
本当にあるのかな?と思っていたけれど
気が済むまでぶつかりあうから仲良くなれるというところは
子供のそれと同じことなんですよね。
大人は、子供は、と分けて考える必要もないし。

殴るのはもちろんよくありませんが、
もし土手の上で周りの友人達が「おいもうやめとけよ」
ってふたりを押さえて引きずってそれぞれの家に連れ帰ったとしたら
土手を転がって分かり合う機会を奪われた二人は
ずっと相手にイラついたままになってしまいそうです。

ブラジルの人は友人でも絶対に仲裁に入らない
というのを聞いたことがあるのですが
もしかしたらその理由は
仲裁するとトラブルが大きくなるからなのでは、と思いました。
(違うかもしれません。)

これからも信じて見守るスタンスで行きたいです。

2019年3月7日木曜日

Ça fait déjà 2 ans !


前回の投稿から
なんと2年も経ってしまいました。
次の春が来て、その次の春もやって来ました。


1歳8ヶ月の娘がパズルのおもちゃで
ブロックを穴に入れられるようになりました。
与えてすぐは何にもできなかったのに
今では手に持ったブロックに合う穴を
歌いながら探しているのですから
面白いものです。

娘を見ていると、
自分が子供だった頃の記憶がよみがえり
娘があの時の自分と同じ立場だと
不思議な感覚に襲われる事が 
とても多くあります。

私もよく似たパズルのおもちゃを持っていて
子供部屋でひとり
ブロックを黙々とボールに入れていました。
その時自分なりに、
丸や四角などの単純な形はサラッと先に済ませて
その次に台形
五角形と六角形の間違いがちなふたつ
星と十字の複雑なかたちのふたつ
複雑なかたちを入れた瞬間の
満足感を楽しんでいた記憶があります。
その頃、妹がまだ赤ちゃんだったので
自分は3歳くらい。
そのことを思うと、娘も娘なりに
色々考えてパズルをしているのだろう
と想像できて、見ているだけで面白いです。

こんなふうに、子供と接していて
自分が
子供の立場の気持ちになることが多いためか
最近、人から「イヤイヤ期だね」
と言われることが
とても辛くなって来ました。

Yes/Noの意思表示が
産まれた時からはっきりしている娘ですが
今では母親だけでなく誰に対しても
はっきり分かるように
主張できるようになりました。
赤ちゃんの時よりも、選択肢が増えたために
Noの確率が自然とあがります。
「イヤイヤ期じゃなくて、
Noって言えるようになっただけなのに。」

私がイヤイヤ期という言葉を初めに意識したのは
子供を持つずっと前のこと。
友人の娘さんがちょうど今の私の娘と同じ頃
初めて会った時でした。
私は、特に深く考えもせず漠然とした知識から
「イヤイヤ期ってあるの?」ときいたら
友人は
「うーん。イヤイヤ期なのかもしれないけど
どれがいい?って自分で選んでもらうことで
本人がイライラするのは解決できてるかな。」
友人がこう答えた時に、ハッとしました。

着たくない服を着せられる
履きたくない時に靴を履けと言われる
出かけたい気分じゃないのに出かけると言われる
食べたくない物を食べろと言われる
大人だって、イヤって言いたいような事が続いて
全部正直にイヤって言ってたら
イヤイヤ期だと決められてしまう。
イヤイヤ期は、大人と意見が違うことを
子供が表明できるようになった時期
ということなんですよね。

帽子が嫌だというのでどの帽子ならいいか選んでもらったらこれに。

でももしかしたら
イヤイヤ期という名前をつけることによって
大人にとっては、だから仕方がない
と自分に言い聞かせる事ができるようになり
子育てのストレスから無意識のうちに
自分を楽にしようとしているのかもしれません。
それで楽になるのなら、
イヤイヤ期というものにも
良いところはあるのかもしれません。
でも、イヤと言った子供が、
何だったらイヤじゃないか
までもう一歩踏み込んでみるといいなと感じます。
「うちの子はどんなに聞いても
イヤイヤばっかりで本当に大変だったんだから
簡単なことを言わないでほしい」と思う方は
本当に大変だったんだと思います。
みんな頑張ってるんですよね。

これからも大変なことも
きっとたくさんあるのでしょうけれど
子育てって楽しいよ
と母が私に言っていた意味をかみしめながら
楽しみたいと思います。

machiron

2017年3月9日木曜日

L'odeur du printemps

春らしい日が増えて
苗屋さんに行くのが
楽しみな季節になりました。

去年の11月に
小さな花壇に植えた球根が
芽を出して葉も繁って来たので
春の花壇をお花畑にしたくて
空きスペースに植えるお花を買いに
苗屋さんへ。


苗をランダムに箱に入れたら
その並びが美しくて
これとこれは寄せ植えにしたい…
と思えてきて


予定外に寄せ植えをひと鉢
作ってしまいました。


1週間程で馴染んで
どんどんモリッと可愛くなります。


冬に植えた花たちもみんな
ぐんぐん育ちました。


ビオラは柔らかくて美味しいので
毎日毛虫退治が大変ですが
手間をかけたぶん
元気に美しくなってくれます。
愛しい我が子たちです。


植えた数より芽が少なくて
心配だったチューリップも
残りの球根からにょきにょき。
球根を植えていない場所がわかったので
ピンクのパゴパを植えました。
来年は、球根の位置がわかるように植えて
冬の間もお花いっぱいにしたいです。


寂しかった花壇も
ようやくお花畑感が出てきました。


まだ葉っぱが多いですが
これから上手にお花畑になるか
楽しみです。

machiron

2016年9月15日木曜日

Fleures au vase

自分で育てて切り花にしたら
部屋に飾るためのお花を
買わなくてもいいな
と思っていたのだけれど
いざ育ててみると、
切って飾ってしまうのが
可哀想に思えてしまいます。


綺麗に咲いているけれど
今切ってしまったら
次に咲きそうなこの下の蕾が。。。

と、少し先の事を
思うようになってしまったのです。


ユーフォルビアが
切っても目減りしないくらい
育ってくれたので
寄せ植えと同じ組み合わせで
アメリカンブルーと一緒に
生けました。
アメリカンブルーは
一度に咲く花は多くないけれど
どんどん蕾ができるので
なかなか切ることができませんでしたが
蕾が出来ていないのを
慎重に選んで
2本だけ。

machiron

2015年12月11日金曜日

La vie dois être pittoresque

世の中には、いろんな
インテリアやファッションのテイストというものがありますね。

素朴な質感の白い壁に
作家モノのシンプルな家具
真鍮のちいさなシェードの白熱球ペンダントライト
みたいなシュッとした感じだと
"オシャレカフェ"的シンプルだったり

そんなの通り越して話題になっているのが
ミニマリストという
極限まで物をもたないようにするライフスタイル。
そんな人たちもいるんですね。

そのようなシンプルなスタイルを
またはその他自分と異なるいかなるスタイルも
否定するつもりはまったくありませんが

自分自身は、
木や布や毛糸などの柔らかく有機的なもの
ありとあらゆる色の中から
美しい組み合わせを発見する喜び
そういった事柄に囲まれて生活したいと
無意識に思っている
ということに最近気付きました。

"ときめくかときめかないかで捨てるか捨てないかを決める"
という方法を最近よく耳にしますが
ときめく物ばかりを身の回りに置けるのは
幸せな事ですね。

シンプルで色彩や明暗に強弱のない環境にいる子供は
色彩感覚が育たないそうです。
色の洪水から、素敵な色合わせを考えたりして
育っていくものなんですね。
美しいもの、好きな物だけ吟味して手に入れるようにすれば
後でいらないから捨てないと、などということになりません。
1シーズン着なかった服もありません。

こうして、言い訳をして物が増えてゆくわけですが。

ちょうどそんな事を考えている時に
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
を読み始めました。
まだあまり読み進めていませんが、
まるで誰かが
冗談で村上春樹風の文章を書いているのかと思うほど
王道の"村上ワールド"が見られるシーンがあって
いろんな意味で胸が躍りました。
色んな事が手に着かなくなるので、あまり読まないようにしています。


machiron