2020年6月6日土曜日

le juin

6月に入り、
入園式から3日でお休みになっていた幼稚園が始まりました。
遊ぼう会などで時々幼稚園に行っていた娘は
幼稚園大好きだったので
入園式翌日の初登園ではウキウキだったのですが
1日目にして
幼稚園はもうかあちゃんと一緒にはいけない
ということに気づいて2日目から毎朝大泣き。
(ただし給食は完食+おかわり)

そんな状態でそこから約2か月、親子べったりすごしたので
すっかり甘えん坊になって
「幼稚園に行くとかあちゃんがどっか行くから幼稚園いかない」
と毎日ことあるごとに断言。

再開された初日の朝
起きた瞬間から行きたくないと泣いていたので
なんで行きたくないの?と聞くと
「かあちゃんがいなくて寂しいから」
と自分の思いをはっきりと伝えてくれました。

そこで、「寂しいけど、楽しいかもしれないから
楽しいかどうか見に行って、楽しくなかったらその時また考えよう」
と提案すると、
意を決して「頑張る!」と言ってくれました。
(登園の時はやっぱり泣いて大変でしたが。。。)

今まで通っていたのに行きたくないと言い出したのなら
なにか理由があってのことなので
行かずに一緒に考えたり解決したり色々あると思うのですが
まだちゃんと行ったことがないので
まずは行ってみて自分が楽しく過ごせる場所かどうか
見てきてほしいと思ったのです。

何をしている時も幼稚園が頭の片隅にあるようで、
なんの脈絡もなく突然「今日幼稚園がんばった!」
という事がしょっちゅう。
結局毎朝「行きたくない」と「行く」の狭間で揺れ動き
行くといいながらも寂しさを思い出して泣いていたり。
それでももう、行ったら結構楽しんでいることはあきらかなので
ある朝
「もう、行きたくない時は言わないで。行きたい気持ちになったら教えて。」
とお願いしてみました。すると
黙ってテレビを見ながら気持ちを作って
よし!と心が決まった時に「行く!がんばる!」と言いに来ます。
木曜は「徒歩なら行く」という条件付きだったので
歩けない距離ではないので付き合いました。
二人で毎日いろんな妥協点をさがしていきます。

炎天下の日陰のない田んぼ道をダッシュで登園という苦行

1週間、こんな毎朝の行く行かないのやりとりと
幼稚園での出来事を話してもらう時間などを通じて
これまで娘にSTEPの考え方を大切に接してきた
その効果がぐっと目に見えて現れてきたな、と感じました。

このブログでSTEPについて書くのは初めてだと思いますが
娘が1歳の時から私が学んでいる
アドラー心理学をベースにしたコミュニケーションメソッドで
子育てに大いに役立ちます。

わかりやすく言えば
あなたがSTEPを学ぶと子供がこういう風になりますよ
と言われていたことが現実になった感じです。
助かるな、と感じるのは
なぜ泣いているかわからない
ということがない、ということ。
珍しく泣きわめいて、たぶん機嫌が悪いんだろうなっていう時
お手上げになって「泣くのが終わったら教えて」
ってその場を少し離れたら
ちょっと経ってから「エンエン泣くの終わった」って
報告しに来てくれたことがあります。
そのあと2人とも冷静になぜ泣いたのかを話すことができました。

それから特徴的だと感じるのは
なぜ泣いているかわかる、にもつながる事なのですが
自分の気持ちをとてもしっかり伝えることができます。
なぜ泣いたか。なぜ怒ったか。何が楽しかったか。
幼稚園の話も
「楽しかったけど、泣いてるときは楽しくなかった。だから明日は泣かない。」
「滑り台してねー、楽しかった。ほんで、風が気持ちよかった~」
(と答えて両手を広げ天を仰ぐ)
友達との喧嘩の理由やいきさつもよくわかります。

そしてすごいな、と思うのが
2歳ながらに私を勇気づけてくれること。
「かあちゃんごはん作ってくれてありがとう。うれしいなー。」
「かあちゃんお掃除上手だよねー。」
「その色選んだの、いいねー!」
昨日は
「幼稚園でかあちゃんにずっと会いたかった。」
「かあちゃんもキコちゃんに会いたかったよ。」
「そっか。。。でもキコちゃんがいるから、もう大丈夫よ。」
ハグして背中をポンポン。
・・・イケメンか。

うちの子だってSTEPやってないけど
それくらい言えるわ
っていう人もきっとたくさんいると思うのですが
少なくとも私の場合は
STEPを知らなかったら
子供に対してもっと別の言い方をしていたと思うので
そうすると返ってくる反応が違ってきて
(別の大人と接している様子を聞いているとよくわかる)
ここは平和には過ごせてなかっただろうな、と思うことが多々あります。


鍼に行くたびに増える鉢

初日3日間の大暴れ登園が祟って
首と背中を痛めてしまい
鍼治療に通う羽目になってしまったのですが
娘の預け先を気にせず鍼に行ける幸せを噛みしめられたし
治療院の隣に素敵なお店があって素敵な買い物ができたし
結果、いいことしか起こっていない私の6月です。
(よくない事はなかった事にすればゼロカウント)

2020年5月21日木曜日

coincidence 5

誰かの記憶に残っていたcoincidences.

ひとつ。
2007年、フランスのLyon第二大学にて
京都からの短期留学生のクラスメイトが(10くらい年下だけど)

「クラスみんなで撮った写真を姉ちゃんにみせたら
 Machironさんの事、見たことあるって言ってました。
 京都の●●って店に行ってましたか?」

「・・・行ってました。」

何年も経ってるのによくわかりましたね。。。
どこで誰に見られていても問題ないふるまいをする
というのは本当に大事なことだな、と気を引き締めました。
(全然問題ありませんでしたよ)



ふたつ。
カフェをしていた時、お客様から
「2003年に関空からフランスに行きませんでしたか?」
「えっ。行きました。」
「MKのリムジンタクシーバスで関空までいきましたよね。」
「えっ。行きました。」
「バスの一番後部座席に乗ってましたよね。」
「えっ。乗ってました。」
「大津の●●が丘から乗ってくる人が寝坊して、
 だいぶ待たされたの覚えてますか?」
「・・・覚えてます。」
「寝坊して待たせたの、私です。」
「!」

10年くらいたって私だとわかったのもすごいし
京都・滋賀から関空までのバスで出会って
再会したのが愛知県というのもびっくりしました。

2020年5月18日月曜日

coincidence 4

以前にも書きましたが
人生の中で
あまりにもすごい偶然が起こりすぎるので
coincidenceシリーズとして書き記しています。

今日は比較的小さめの偶然。

coincidence 2で再会したアンジェリーナ先生。
ブログに書いたことで、
また探してみようと思い立ち
SNS上で名前を入れてみたりして
色々探していたのですが
なかなか見つからずにいました。

しばらくして、
とある英語サイトの英会話の先生リストに
アンジェリーナのプロフィールを発見!
でもメールアドレスは載っていなくて
英会話の先生を探している人が
HP上で問い合わせすることができる
メッセージボックスにメッセージを残しました。

すると、2・3日のうちにすぐ返事があって
その内容にとても驚きました!

「メッセージありがとう!
 実はこのサイト、もう全然使っていなくて
 さっきなぜか数ヶ月ぶりに開いてみたら
 あなたからメッセージが来ていてビックリ!
 なんとなくだったけど、
 見てみてよかったーーー!!
 探してくれて、そして見つけてくれて
 本当に嬉しい!!!」

オンラインというデジタルな世界でも
第六感的な引き寄せってあるのでしょうか。

この時以来、
アンジェリーナとはSNSやメッセージで
ゆるっと近況を伝え合っていて
いつか、
30年ぶりとなるこの場所に遊びに行きたいなーと
言ってくれています。
いつか実現しますように。

2020年5月16日土曜日

Mademoiselle "NON".

前回の投稿からまたしても1年以上の時が。。。
1年前の文章が残っているのは
なかなか面白いものだと感じました。

イヤイヤが言えるようになった娘のそれから。

相変わらず「イヤ!」と言い続けていて
寝言でもイヤって言っています。
よっぽどイヤなんですよね。

イヤ、と言われたらひたすら交渉あるのみ。

出した着替えがイヤだといわれたら、
全部自分で選んでもらいます。


幼馴染と畑仕事。
帽子も下着もパンツも靴下も
なぜか全部水玉を選びました。
とにかく何でも自分の意志で決められる人に育っています。

理由がわからないときは
なぜイヤなのかを聞くようにすると
泣いて怒っていたとしても
気持ちが落ち着いてから話してくれます。
本当にイヤなわけではなく
さみしい、とか自分でやりたかったとか
他になにか理由があることもとても多いです。
まずは”イヤ”という本人の気持ちを否定したらよくないなーと感じています。
(イヤイヤいわないの!とか。)

で、結果
”イヤイヤ期”というものはやはり存在しないというのが実感です。
周りの大人が思い通りにならない時に
名前を付けて納得して終わらせたいんだな、と。

前置きが大変長くなりましたが

待っていたら落ち着く、話し合うことができる
というのは
イヤ!といった時だけではなく
例えばお友達と喧嘩した時や
おもちゃを貸す貸さないで揉めた時も同じことのようです。
貸してあげなさい!とか喧嘩しないの!
と子供の憤懣やるかたない気持ちを無視して
仲裁に入って
うまくおさまったところを見たことがありません。
もし、親が仲裁に入って止めておさまったように見えても
本心では納得していません。
私悪くないのに、とどっちかが思っていたり。

止めたくなるところを我慢して見守っていると、
(はじめはなかなか難しい)
子供同士でちゃんと折り合いをつけて
ごめんね、いいよ、って言い合えたり
そもそも怒っていたことをお互いでなしにしたり
気持ちを落ち着けてから時間をおいて「貸してあげる。どうぞ。」
ってできたり
お互いがちゃんと納得して、どちらかが悶々と不満を抱えることなく
平和な時間を取り戻しています。
2歳や3歳でちゃんとそれができます。
そうして色んな可能性や能力を自然に見せてくれるので
子供って素敵だなーと毎日目が離せません。
別の意味でも絶対に目が離せません。

水玉を身にまとった娘と幼馴染のお友達は
追っかけ合ったり時にはつかみ合いのけんかになることもあるけれど
でもいつもちゃんと仲良しに戻っています。
喧嘩中に親のわたしたちが「もうやめなさい!」と引き離したら
お互い腹を立てたまま引き離すことになって
きらい!って思ったままだったり
本当は好きなのに喧嘩したまま別れて悲しい
という風になってしまうかもしれません。
自分で決めて、自分たちで解決していくのを
一緒に見守れるのが素敵な”ママ友”だなと感じています。

こんなことを考えていた時に
ある人が「それって大人も同じことですね。」
と意見を言ってくれて
たしかにしょっちゅう喧嘩してもすぐ仲直りする人たち
たくさんいるなー、と気づきました。

”けんかをして制服姿で殴り合いながら土手を転がって
最後に友情を深める”みたいなこと
本当にあるのかな?と思っていたけれど
気が済むまでぶつかりあうから仲良くなれるというところは
子供のそれと同じことなんですよね。
大人は、子供は、と分けて考える必要もないし。

殴るのはもちろんよくありませんが、
もし土手の上で周りの友人達が「おいもうやめとけよ」
ってふたりを押さえて引きずってそれぞれの家に連れ帰ったとしたら
土手を転がって分かり合う機会を奪われた二人は
ずっと相手にイラついたままになってしまいそうです。

ブラジルの人は友人でも絶対に仲裁に入らない
というのを聞いたことがあるのですが
もしかしたらその理由は
仲裁するとトラブルが大きくなるからなのでは、と思いました。
(違うかもしれません。)

これからも信じて見守るスタンスで行きたいです。