2021年6月14日月曜日

coincidence 6

2005年頃、大学で履修したはずのフランス語を
自分が全く忘れてしまっていることに気づいて
窓から捨ててしまった貴重な時間を取り戻すべく
京都にある関西日仏会館というところに
仕事が終わった後通ってフランス語を学ぶという生活を始めました。

同じクラスには年上の社会人の方が多かったのですが
当時私は精神的にかなり引きこもり気味だったので
クラスのみなさんと積極的に交流することもなく
実はあまり授業の記憶がないのですが
たいして付き合いの良くない私に
有益な本を下さったり食べ物を持たせてくださったり
先輩方がとても優しくしてくれたのは覚えています。

そんな中、Iちゃんは私よりちょっと若そうで
いつも大きなバイクで華麗に会館に乗りつけ
授業が終わると颯爽とバイクで去っていく
かっこいい女性でした。
日仏時代のIちゃんの記憶といえば、
クラスの年度が終わった時だったか何か
覚えていないのですが(覚えてないのか)
親睦会のようなものを主催してくれて
とても面倒見がいい人だな、と思ったこと。
そして、Iちゃんがもうすぐ渡仏することを聞いたのですが
連絡先を交換することもなく
次の学期からIちゃんに会うことはなくなりました。


その、Iちゃんの渡仏から約半年後。


日仏間にもワーキングホリデーの制度がある事を知って
フランス語をやるならいっそ行ってしまえ、と
リヨン第二大学の仏語集中コースに入学を決めた私は
入学手続きに出向いたリヨン第二大学で
「あなたの名前、入学者リストにないわよ」と言われ
「名前ないけどとりあえず会場に入って」と入学説明会に参加。
まだフランス語がほとんど聞き取れないのに
全部フランス語で進む手続きや
中国人留学生の名前が発音できないせいでカオスとなる説明会
あらゆる書類を見せて入学許可をもらっていることを
片言のフランス語とわかってもらえない英語で説明する苦行
などなどに在仏初日から疲れ果て
なぜか2時間後にもう一度来るように言われたため
フラフラになって地下鉄に乗り込みました。

あまりに疲れたので、ちょっと途中下車して
ゆっくりお茶でもしようかと
適当に降りた駅の階段をフラフラを上がると、
地上出口の正面に、自転車にまたがった日本人が。

Iちゃんでした。

一瞬、パニックになり
Iちゃんが行くのリヨンやったん?と驚き
あらゆる不条理に数時間耐え続けた私の目に
最初に映ったIちゃんはもはや
たまごから孵ったヒヨコにとっての母鳥のような人。
迷わず連絡先を交換してもらって
リヨン生活のスタートを大いに助けてもらいました。

あの時、名簿に私の名前があったら、入学説明会がスムーズだったら、
途中下車しなかったら、別の出口から出ていたら、
出会っていなかったかもしれないIちゃん。

(小さな町なのでそのうち会ってはいたかも、とは思うけれど)

それから先、偶然の出会いを超えて運命となったIちゃんは
15年経った今でも変わらず私の戦友であり続けてくれる
素敵な存在なのです。